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ラジオ番組「シンクロノシティ」

シンクロノシティ | MON-THU 16:00〜19:00 ON TOKYOFM

Crew / DPlabの仲間たち

  • 堀内貴之
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  • 結城雅巳
  • 坂野晋平
  • GAWARA
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  • オグチタツヤ
  • 田村徳隆
  • kiwako
  • 矢野恭子
  • さくらだたくみ
2010.06.16
はやぶさ、CHILL。

はやぶさ、CHILL。

太平洋戦争時の日本の一式戦闘機 隼(はやぶさ)は、海軍のゼロ戦と並んで日本を代表する戦闘機だった。 スマートなフォルムと軽快な運動性でラバウルやニューギニア、ビルマ、中国大陸などで活躍した。 総生産機数は5,700機。

戦時中の映画『加藤隼戦闘隊』は軍神といわれた加藤建夫陸軍中佐と飛行第64戦隊の活躍を描いた国民映画。 映画のなかでは実際の一式戦闘機 隼の勇姿を見ることができる 。

この一式戦闘機 隼、開発当初は期待される性能を発揮できなかったという。正式採用も危ぶまれたが、蝶型空戦フラップの技術を採用することで、運動性能を向上させることに成功し、陸軍の主力戦闘機のひとつとなった。空戦フラップは効率的に旋回するために離着陸等に用いられるフラップを空戦で使用できるようにしたもの。大排気量と重武装で戦闘力をあげていた米軍機とくらべ、こういった創意工夫で性能を高めていくあたりに日本の技術の方向を感じる。

しかし大戦後期には、米英の新型機に苦杯をなめ、末期においては時代遅れとなった隼の機体は神風特攻隊の機体としても使用された。 大東亜戦争を通して活躍した名機、隼戦闘隊も桜となって散っていった。

この一式戦闘機 隼、二式戦闘機「鐘馗」などを名機たらしめた 蝶型空戦フラップなどの開発に携わった技師が、戦後、日本のロケット開発の父といわれる糸川英夫博士である。

糸川英夫氏は、1935年、東京帝国大学工学部航空学科を卒業。中島飛行機に入社し、帝国陸軍の九七式戦闘機、一式戦闘機 隼、二式単座戦闘機 鍾馗などの設計に関わった。 1941年、軍事技術開発を中心に扱った千葉県千葉市にあった東京帝国大学第二工学部助教授に就任。1948年、同教授に就任。

日本の宇宙開発は全長23cmのペンシルロケットから始まった。

糸川博士は1999年に死去。 2003年、小惑星 25143 が糸川の名にちなんでイトカワと命名された。

その「イトカワ」にむかった日本の探査機の名前が「はやぶさ」であったのは何の因果なのか。 「はやぶさ」を開発した「イトカワ」の名がついた小惑星に、ふたたび「はやぶさ」が会いにいく。

そして「はやぶさ」は人類史上はじめて小惑星へ着陸し、離陸した探査機となった。星になった「イトカワ」に「はやぶさ」が宇宙で再会したというわけだ。

2003年5月9日に打ち上げられた「はやぶさ」は、2010年6月13日19時51分にカプセルを切り離し、13日22時51分頃に大気圏再突入した。

消えていくはやぶさ。最後はやはり燃え尽きていく美学。

Image credit: JAXA

宇宙航空研究開発機構(JAXA)は6月14日、小惑星探査機「はやぶさ」が最後に撮影した地球の写真を公開した。

その最後の瞬間にカメラの角度を変えて、地球の姿を地上へ送信する。 地球の姿を送信の直後に燃え尽きていくという、散りぎわの美学に日本人は感動を覚える。

それはアポロやスペースシャトルの打ち上げの瞬間の歓喜とはまったく異質のものだ。 自らが消滅しつつ、ミッションを果たすロボを完全に擬人化してる。

なんとなく、花をたむけたい気持ちになったりするわけだ。

PEACE!
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堀内貴之

創作の世界では味わうことのできない大きな感動が、
日の本の歴史とともに深く胸に去来した次第であります!

僭越ながら自分もこれから、仕事に戻るであります!

SHOTARO MAEDA

武士道から引き継がれた日本独特の散り際の美学を感じるであります。桜の花のような諸行無常感を感じるであります。秀でたものは無いけれど、日本代表には各々の役割を最後まで全うして「はやぶさ」のように最後まで戦い抜いて欲しいものであります。それにしても美しい映像。

ogpon

最後に激しく燃える時、手塚治虫の「火の鳥」に見える。
散って尚、心の中では生き続けるってことだよねー。と勝手に解釈。
この時空を超えた邂逅。最後まで美しすぎ!